う飄々(仮)

いうてまじめやで。

むずかしいことをやさしく、(ry

 

「むずかしいことをやさしく」は井上ひさしの名言だ。

 

名言として登録されている以上、一定のコンセンサスがあるにちがいない。

 

じっさい、同様の主張をよく聞く。

 

 

しかし「むずかしいことをやさしく」はそんなに必要だろうか。

 

たしかに、そのまま伝えると受け手に内容がわからないような場合には噛み砕いて伝える工夫をしなければいけない。

 

発信側の専門性が高いとき、

 

物理学者が一般に開かれた場で研究内容を説明する場合などは言葉をやさしく変換するか用語を説明する必要がある。

 

これは首肯ける。必要なばかりか大切なことだと思う。

 

 

 

しかし、そこまで専門性が高くない場合にも「むずかしいことをやさしく」は適用されることがある。

 

〈わかりやすく言うと〉とか〈平たく言えば〉とかいう前置きとともに話される場合だ。

 

これは、全然、不必要だと思う。

 

まず、聞き手や読み手を低くみた言葉になるからだ。

 

その時点でイラッとさせられるが、それ以上に、わかりやすい言葉や平たい物言いは単純におもしろくない。

 

元の内容がもつ魅力を削いでまで理解に重きをおくショートカットのようなものだ。

 

そもそも何かを読むときに内容を理解したいなどと思わない。自分は。

 

相手がしきりに理解だけをさせようと話しかけてくるとき、自分は苦痛を感じる。文字だったら読むのをやめてしまう。

 

何かを読むとき、理解することは前提であって、読む目的にはなりえない。

 

話を聞くときもそうだ。

 

読んでおもしろいから読む。聞いておもしろいから聞く。

 

理解に重点をおいておもしろさを削るのは、少なくとも受け手からすれば本末転倒だ。

 

文章を簡潔にすることを意識しすぎる必要はない。頭の片隅に”ゴテゴテしないように”と思っていればそれで充分だ。

 

自分も簡潔な文体には憧れがある。

 

でもそれは読む相手のためを思ってというより自己満足としてだ。

 

そんなことより大事なのはサービス精神だ。もっといえばその技術だ。

 

このことは聞く側・読む側の経験からけっこう確信している。

 

たとえば、

 

漱石の文章は簡潔な文章で読みやすいけど、だからといって読みやすいから漱石が好きってわけじゃない。「読みやすさ」は関係無くはないけど決定的ではまるでない。

 

 

 

先の名言「むずかしいことをやさしく」には続きがある。

 

 

”むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく―”

 

これを踏まえて言うなら、

 

〈わかりやすく言うと/平たく言えば〉

 

これらはまるっきりサービス精神の不足か技術の不足、またはその両方なのである。

 

「むずかしいことをやさしく」では足りないということ。

 

短縮され、切り落とされた部分にも目を向けなければならない。真面目はそこにある。

 

意味が通じてそれで満足なんて受験英語じゃあるまいし。ねえ?

 

 

―じゃあ、具体的にどうすればいいんだろうか。おもしろくするには。

 

 ・・・

 

ひとつ言えるのは、

 

「サービス精神の不足」については、発信側に立とうとするなら「あくまで満足しないこと」だ。

 

技術は、知らない。

 

できるだけ簡潔な文章を心がける 等でしょうか。