う飄々(仮)

いうてまじめやで。

バレエ・フォー・ゲーム

 

最近、バレエを見ることにハマり始めた。

ダンスを見て喜ぶなんてまるでジジイみたいだなと思いつつ(ダンスは踊るものだと僕のなかの小僧が申しております)、これがおもしろい。

急にバレエに興味を持ったのは、完全に読んだ本の影響で、三浦雅士の『人生という作品』『バレエ名作ガイド』『ブラヴォー! パリ・オペラ座エトワールと語るバレエの魅力 』あたりを読み、実際に見てみたくなって、動画を探したらいくつか見つかった。見てみたらやっぱり文句なく美しいし、そこそこ感動できたので、継続して見てみようかと思ったのがきっかけといえばきっかけ。

 

僕は小躍りして喜ぶのが好きだ。

たとえば、サッカーを見ていてゴールを決めた選手が喜びを表現する瞬間がある。ゴールパフォーマンスという特別な時間がゴールを決めた選手には用意されていて、それはサッカー観戦の醍醐味の一つでもあったりする。とくにゴールを決めることが多いストライカーにはそれだけゴールパフォーマンスの機会も多く、実際、ユニークなゴールパフォーマンスは選手人気にも影響したりもする。アクロバティックな体操技のような宙返りを披露する選手もいれば、でんぐり返りで喜びを表現する選手もいたり、個人差があっておもしろい。共通するのはゴールの喜びを全身で表現しているというところだ。僕が小躍りして喜ぶのが好きなのはこういう喜びの表現に憧れがあるからだ。好きが昂じて、実際にサッカーをするときにも素人ながらストライカーを志望したりした。どうしてもゴールパフォーマンスがやってみたかったのだ。

たぶん、ダンスの起源もそこにある。

感情を全身で表わすのがダンスだ。そして、動きに形式を与えるのがダンスの役割だ。動きに形式を与えることで感情は増幅される。嬉しいからといってめちゃくちゃに動いても、ある程度以上は嬉しくならない。感情にブーストをかけるための装置としてダンスは機能する。感情が種火だとすればダンスはバーナーだ。「鼓舞」という言葉がそのあたりを的確に捉えている。オールブラックスのハカをはじめて動画で見たとき、異様に興奮したのを覚えている。あれこそ形式が感情を増幅させるという体験だった。

サッカーのゴールパフォーマンスの場合、種火はゴールということになる。喜びのお膳立てが試合だ。サッカーがこれほど持て囃されるのは喜ぶ理由がはっきりするからだ。喜びを爆発させたいという欲望は人間共通のもので、みんなで盛り上がればそれだけ爆発も大きくなるという発想がサッカー人気を支えているのだと思う。

じゃあ盛り上がれれば中身はなんでもいいのか、――もちろんいいのだ。

大事なのは楽しいことで、フォーメーションとかオフサイドトラップとかは二の次だ。そういう細かいものを覚えたらより楽しめるようになると感じ始めてから覚えても全然遅くない。というか楽しみだしたらそういうことはほぼ自動的に覚える。

バレエも同じだ。あんまりバレエを知らなくてもバレエを見て分かることは山ほどある。足の伸びが美しいこと、重力を感じさせないで跳ね回り、移動していることを感じさせないで移動すること、指先の先まで神経の行き届いた手の動かし方、こういうことを見て快く感じるのは玄人素人関係ない。

盛り上がれば中身はどうでもいい。たしかに中身はどうでもいいのだが、ある程度より上の盛り上がりを得ようと思えば、やっぱり中身に気を遣わないといけなくなる。サッカーにしても最高に盛り上がる試合というのには条件がある。どれも一律に最高に盛り上がるというわけにはいかない。

喜びの舞から、自分自身のものとして感じられるJOYとして本当に喜びを引き出そうとすれば、形式というきちんとした基本線と、自分自身の内的感情との両方が欠かせない。

バレエには物語がある。正直なところ、どれもこれも似たような恋愛物語だ。しかし、そこには感情がある。ダンスに必要なだけの豊かな感情がある。サッカーでいうところのゴールが、バレエでは予め用意されているということだ。それがあれば、極度に洗練された形式が途端にきらきら輝きだす。美しさに感情の広がりが出る。冷淡にしろ、可憐にしろ、熱情にしろ、美というものに血が通い、にわかに色めき立つ。技術がダンスになる。

 

このあたり、動画で見ると早いと思う。「眠りの森の美女」というバレエのスタンダードナンバーの一部シーンを紹介。

 

ひとりの美しい王女がいる。

あまりの美貌に求婚を申し出る男たちがたくさんいる。

しかし王女はどの相手も気に入らない。

その場面が↓

 

美しいが機械的で、ぎこちなさとまでは言わないまでもほんの少しの違和感があるように感じられる。

 

一方、この人という相手を見つけた王女↓

 

どうでしょう?

僕には完璧なダンスに見える。ダンスの正確性はどちらも変わらず完璧なのだが、それ以上に、二番目の動画の方には「何か」があるように思える。

知って見ても、この二人が同一人物だということを疑ってしまうほど、二つのダンスがちがっているのは一目瞭然だ。

下の動画を見たあとでもう一度上の動画を見ると、また印象が変わる。ぎこちなさに感じられたものが腑に落ちるというか、違和感には感じなくなる。好きじゃない人と踊ったときの女の子という感じがすごく出ていて、あらためて技術の高さ、表現力の豊かさに感じ入るほかない。

 

僕はバレエを見始めてすぐこのバレリーナ*1の虜になった。彼女の名前はオーレリ・デュポン。名前はもちろん勝手に覚えた。

日本でも来年3月に公演するらしく、しかも演目は「椿姫」だということで、ぜひ見に行きたい。

「椿姫」は『バレエ名作ガイド』でもっとも悲しく響いてきた物語として気に入っていたので、まさに渡りに船だ。

 

バレエの導入だが、音楽、ストーリー、バレリーナの顔の造形の好み、衣装などから、ビビッときたものを見つけだし、そこから入るのが一番だと思う。そのときの案内書として『バレエ名作ガイド』はおすすめ。サッカーにしろ何にしろ「贔屓」を見つけるのが楽しみの一番の近道だと思う。ライフハーック。

 

バレエ名作ガイド―ダンスマガジン編

バレエ名作ガイド―ダンスマガジン編

 

 

 

*1:バレリーナはヒロイン役を踊るバレエダンサーにだけ用いられる尊称らしい