好きか嫌いか、それが問題だ。
好きか嫌いか、それが問題だ。
演劇について考えさせられることがあって考えていたんだけど、この問題というのは演劇というものの社会的な存在感とも関連するということに思い至った。というか、関連せざるを得ない。
まず、演劇は外部にはほとんど知られていない。
もちろん、そういうのもあるということは知られている。テレビドラマや映画で活躍する人たちがいて、彼らは「役者」と呼ばれていて、役者がしている活動のひとつに「舞台」というのがある。おそらくその程度の認識が一般的だ。
ちょっと考えればわかることだが、ほとんどの役者はテレビドラマに出演しない。
でもそんなこと一々考えてられない。みんな忙しいし、暇ならテレビもネットもあるし、ちょっと活動的な人ならBBQ行ったり釣りに行ったり、たまに気分変えたい時には映画館に映画を見に行ったりして、世の中それで十分満足できるようになっているからだ。
役者の人はやや自嘲気味に「自己顕示欲」という言葉を口にすることがある。正直、クソつまらないセリフだなあと思わざることを得ず。といった感じだが、それでも言葉の意味は悲しいくらいよくわかる。
一文字減らして「承認欲求」とすれば、これはべつに役者に限ったものではない。われわれはみな、承認欲求の奴隷だ。といったところで、こんなセリフはナンセンス極まっていて、われわれはみな睡眠欲の奴隷だ。と何の択ぶところもない。―そりゃそうだ。で?ってなもんだ。
ちがうおもしろさを、もしくは、同じおもしろさでもちがう言い方を、考えないといけない。演劇界は外部に宣伝することが必要な業界だ。
マス向けのイメージがあまりに根強い。重なる部分もあるが、重ならない部分も少なからずある。そのギャップが靴ずれを起こす。靴がマスで足が演劇界である。
ほとんどの欲求はかなり簡単に満足させられる。じつはそれは欲求の処理であって満足ではないのではないか、という疑問もないではないが、それは主観の領域だ。欲求が消えたり、どこかに方向づけられたりという状況を指して、そんなものは本当の満足ではないなどと居丈高に主張するのは、口やかましく声がでかいだけの連中のすることだ。
しかし、演劇界はそれを言っていかないといけないんじゃないかと思う。
うるさいことを耳触りよく言っていくこと。それができる形式を演劇は持っている。説教ではなく物語を、教えを説くのではなく、物を語るという方法で。
耳触りの良さについての基準は、それが好きか嫌いかというところに収斂していく。
マス向けの好き嫌いは、じつは戦略が立てやすい。とても複雑なのだろうが、研究が進んでいて、「正解」があるからだ。基本それに沿うしかない。
演劇はマス向けではない。観にくる客向けか、作る自分たち向けか、はたまた両方か。いずれにせよ対象はマスではない。演劇界は内々になって自然価値観が近くなる。それにあわせていくことになって、さらに内々になる。そういうサイクルに入っている。
そんな状況で一番賢いのは、自己満足を追求するタイプだと思う。他人が見ておもしろいかは別としても、だれも楽しんでいないという地獄は回避できる。
深化しようとするのをやめることだ。「深い」という価値観に沿うようにするために、そこから抜け出すことだ。どこまで深いことができるか、深く掘り下げられるかという競争に汲々としていられると、はっきり言ってついていけない。
むしろするべきことはその逆で、深い深い、意味の分からない穴ぼこから、何かを汲み出してみせることだ。ぼこぼこになってる地面を見て、おれがもっと深いのを掘ってやるというのはむしろ安易な発想だ。自己満足でそうしたいなら別にかまわない。でも演劇界には、自己満足で満足できる奴なんていないんじゃないか。それができないから演劇なんて何にも生産的でないくせに絶対に一人ではできない遊びをやってるはずだ。
深い穴はもうあいているんだから、あとはそこから何か取り出しますと言えば、「深い」が好きな大衆はみんなこっちを向いてくれるんじゃないか。
役者の人たちは本当に素直な人ばかりだ。「ひねり」もなんにもない。自己顕示ではなく他者顕示を、承認欲求についても単にされたいと望むだけではなく、したいとも望むようにすればいい。とにかくもっともっとひねくれないことにはどうにもならない。どれだけひねくれようと最後にはどうしたって「自己」につながるんだから。
客といっしょになって「深い」ものをありがたがっていてはいけない。ドストエフスキーなんか切り売りにすればちょうどいいわけだし、ザックリいかないといけない。
客の判断は結局、好きか嫌いかなんていういい加減なものだ。好みの顔、好みの声、好みのスタイル、好みの立ち居振る舞い、好みの展開、好みの言葉。考えれば考えるほどうんざりする。ランダムに動くリングに向かってシュートするバスケみたいな感じだ。目を瞑って打ったって一緒じゃねえかと思わざることを得ず、だ。