う飄々(仮)

いうてまじめやで。

ゴッド・ブレス・おっさん

 

God Bless America - Official Trailer [HD] - YouTube 

 

「ゴッド・ブレス・アメリカ」という映画をみた。

世の中に絶望したオッサンが女子高生といっしょにムカつく奴らを殺して回るという、いかにもバカっぽい映画だ。予告からして来るとこまで来た感があって、日本での公開を楽しみにしていたのだが、2012年に公開されていたらしい。iTunesでレンタルして見た。

世界観というか話の筋は予告にあるままで、それ以上のものは本編にはほとんどない。しいて挙げるなら、撃たないシーンが予告以外のシーンに1つだけあって、そこが見どころかもしれない。あとはラストの皮肉。

銃を乱射して無差別に人を殺しまくるオッサンがなぜそんなことをするのかというと、社会正義を守りたい、世の中に迷惑をかける奴らは死ぬべきだ、といういかにも幼稚な発想がもとになっている。『罪と罰』のラスコーリニコフみたいなものだ。ただし青ざめた青年ではなく、血色のいい肥ったオッサンが銃でするというところが、いかにもアメリカの物語だ。日本だったら、またちがった設定になるんだろうとなんとなく想像できる。それらの共通点は独善だ。独り善がりがみっともないことは、これはもう社会常識だ。ラスコーリニコフは勘違い野郎にすぎない。ドストエフスキーの長編で唯一入り込めなかったのが『罪と罰』だ。主人公に魅力を感じない長編小説は読むのがつらい。『罪と罰』だけは読むのが苦痛だった。

その伝でいけば、「ゴッド・ブレス・アメリカ」もつまらないということになる。でもそうでもなかった。ラスコーリニコフにはない愛嬌がこのオッサンにはあるからだ。人を斧で殺すコメディは成立しにくいのに比べて、銃でなら成立するように思える。銃というアイテムはすごくて、殺人の残忍さが目立たない。「ジャッキー・コーガン(Killing Them Softly)」のテーマに近いものを感じる。そのテーマは掘り下げると「アメリカ」につながっていて、ラスコーリニコフ的な苦悩からはその分だけ離れる。貧乏、理想といった、みみっちい背景を持たないでいられるので、まだしも退屈じゃない。勘違い野郎だろうがなんだろうが、盛大に勘違いしている分には、見ていて楽しめる。「これは実際、正しいことなんだろうか」という残念な問いがなく、ただのやぶれかぶれであるということは、ひとまず安心して見ていられる。

「ゴッド・ブレス・アメリカ」はつまらなくないし、気晴らしになる。でも満足はできない。苦悩の方に満足を求める妙な傾向が自分にはある。精神なんちゃら的には案外そういうものなのかもしれないが。結局、僕は個人的苦悩を見るのが好きだ。

ラスコーリニコフ的苦悩がつまらないのは、夾雑物が混じっているせいだ。べつにピュアネスの話じゃない。個人的苦悩が他人につながる必要なんてないのに、無理やりそこにつなげようとするから雑になってしまうのだと思う。その雑さ、いい加減さがいやなのだ。こう言うとピュアネスの話みたいになるけど、カオス上等のマインドはあるつもりだ。不純は一向にかまわないけど、無理があるだろと思ってしまうのは思ってしまう。

他人に押しつぶされようとしていく苦悩の話だとすれば、『罪と罰』はおもしろいかもしれない。だがそうだとしても、そこで斧を振り上げることには無理が見える。振り上げる前と、振り上げた後のことにはすごく納得できるのだが、振り上げる瞬間がどうしても納得できない。『罪と罰』でおもしろいのは、ラスコーリニコフが「アーヤッチャッタヨー」となる瞬間だと思う。その瞬間に、斧を振り上げるほどのつよい意志が自分に向かって一気にはね返ってくる。だから斧を振り上げることはどうしても必要だ。それぐらいわかる。わかるけど納得できない。

「ゴッド・ブレス・アメリカ」でおもしろいのも「アーヤッチャタヨー」の瞬間にちがいない。ただし、引き金を引くのは斧を振り上げることに比べて何ほどのこともない。パニッシュメントもクソもない。その呆気なさこそ、なによりゴージャスだと思う。アメリカンゴージャスネス。こっちには納得なんて必要ない。

 

哀れなオッサンが不満憤懣をつのらせたのは、ムカつく奴だらけの社会生活とくだらないテレビ番組を見続けた結果だ。どこかに捌け口があれば、銃乱射に行き着かなかったのかもしれない。しかし、そういうものを垂れ流して生き延びたオッサンは、アメリカンな手法ではショウにはできない。ここにアメリカンゴージャスネスの限界があるのだと思う。ショウにもならない無数の哀れなオッサンを、我慢し生き延びたかつてのラスコーリニコフを、描いておもしろいものが作れるとすれば、それは相当に先進的な作品になるのではないかと思う。日本ではそういったものはとりあえず可視化されている段階にはある。でもそれは目に毒なので、僕としては、哀れなオッサンたちは物語として昇華されてほしいという望みがある。うんうん、よかったね、そう言って消化されてほしいという願いがある。

消化はもちろん冗談半分だが、現状では、哀しさや愛嬌や苦悩というものなしに不完全にそういうものが可視化されているような気はしていて、そういうのにすり減らされる感覚というのは立場こそ違えど共通のものとしてあるだろうから、「ネット社会」(≠ネット)をモチーフにした先進的、日本的な作品が待たれるというのは、実感としてそう感じる。

 

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

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