う飄々(仮)

いうてまじめやで。

お前の夢のなかに、だ!

 

「パプリカで全部やってる。」

パプリカ。久しぶりに見てかなり痛切にそう感じた。

今敏監督のアニメ映画「パプリカ」は、夢の話だ。

夢の話といえば、この夏公開のジブリ映画「風立ちぬ」がそうで、自分はそこに「夢」と「落下感覚」をつよく感じた。夢というものには、落下する感覚の再現力が半端じゃないほどある。落ちた衝撃でびくっとして目を覚ますときの感覚は、完璧に3次元(というかリアル)体験だ。3D映画などそれに比べれば目じゃない。

 

大学時代の友人にアニメを愛しているやつがいて、かれは2次元と3次元との葛藤を真剣に悩んでいたようだった。当時は笑い話に聞いていたにすぎないが、その真剣さというのは馬鹿馬鹿しいものの当を得ているのではないかと、つい最近になって思いだした。

そう思うきっかけになったのは、演劇というもの、芝居というものに近づいたことである。もとはといえば映画畑の食べ物ばかり食べ歩いていたところへ、演劇というものに近づいた結果、映画と演劇のちがいってなんだろうと考えるようになり、2次元と3次元のちがい、自分の思いついた言葉でいうと、平面芸術とそれ以外の視覚芸術とのちがいというものに意識を向けるようになったのである。ぼくは演劇畑の人がよくいう「ライブ感」というものはあまり意識しない。作品には再現度の高さを求めるから、ライブ感のベクトルとは相容れないことも往々にしてある。ライブ感というものはサッカーで充分だと思うし、サッカー観戦におけるライブ感の大きさを感じると、演劇のライブ感は小さなノイズとしか感じられない。前の前のシーズン、マンチェスター・シティがプレミア優勝を土壇場で決めたとき、たまたまBSでその瞬間を見ていて、シティーはむしろ嫌いなチームなのに、それでも鳥肌が立ったことが忘れられない。ハイライトで見るのとは別の興奮がそこには明確にある。

演劇サイドの「たまに、いまここしかないという感じでピタッとくることがあって、それがいいんだ」という主張はわからないでもないが、たまにとは言わず、いつもであるべきだし、それを目指すべきだと思う。

話がずれた。要は、平面がつよいということである。

話がとんだ。どういうことかというと、ぼくの楽しい時間を計算してみると、平面に向き合っている時間がとても多いということに気がついたのである。「ディスプレイ」に向かって時間を消費することの多いことは、空前絶後の事態じゃないかと思う。これは自分だけのことじゃなく、周りを見渡してみてもそうだ。PC、スマホ、タブレット端末、これらを平面を使わずに、たとえば球体などで再現することが可能だとは思われない。

たとえばアイフォン。ぼくはアイフォンのデザインが画期的なのは「iPhone4」からだと思っていて、それはなにかといえば端末がまっ平らになったことだ。平らな机の上にアイフォンを置いたときの感覚は、机の上にダイレクトに画面ができるような感じで、これまでにない特有の感覚がある。アイフォンがその真価を発揮するのは、平らなところに置くときだと思っている。

平面のことを考えだすと必然的に立体ということにも意識がいく。

しかし、たんに奥行きということだと、いまや平面で再現可能である。3D映画と言わないでも普通の映画でも画面に奥行きを感じることはできる。そもそも画面が動かないでも、絵画の時代からそれは可能になっている。

それでは平面に勝るところが平面の外にはないのかというと、現状、視覚以外の五感と連動していることが、平面以外の視覚芸術の大きなアドバンテージだといえる。

時間はどうかというと、これは先のライブ感というものに近いと思うが、平面でもある程度は再現できるのではないかと思う。行ったことがないのでよくわからないのだが、音楽ライブのライブビューイングが映画館で行われていることなど、この関連で興味深い。

サッカーでいうと、生観戦とテレビ観戦のあいだでは、ライブ感のちがいはある。ボールが飛んでくることだってあるだろうし、スタジアムに大粒の雨が落ちてくれば、ピッチにも選手にも、観戦する自分自身にも影響が出る。また、生観戦では、歓声やブーイングといった形で試合に参加することさえできる。スポーツにおけるライブ感は、完全に頭一つ抜けている。

 

こんなふうにして、最近、平面ということを考えて面白がっていた。そんなとき「パプリカ」を見て、夢と現実の交錯を描くと同時に、平面とリアル世界との交錯を描いているということに気がついた。夢と現実との往来に気を取られて、平面とリアル世界との往来を目に入っていながら見ていなかったことに気がついて愕然とした。2次元と3次元のはざまで葛藤する友人がいながら、そこに気づけないとは情けない。

2次元と3次元とのあいだで葛藤していた友人の解決法は、5次元に生きるというものだった。あいだをとって2,5次元という発想などクソ食らえ、おれは2次元も3次元も捨てない、5次元でいく、というのが彼の主張であった。文系の足し算。ばかみたいな発想だけどぼくも賛成だ。

「パプリカ」も「風立ちぬ」もそういう話だと思って見ている。

 

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