僕はマジメだ、マジメになろうとしてる
シリアスマンという映画がある。
紹介するのがむずかしい映画なので、紹介はしないで感想だけ書く。
だけど、どうしても見てみてほしい映画だ。ネットで感想を調べると大体よくわからない、むずかしいなどと書いてある。しかし、僕にはわかる。とてもよくわかる。
もしめっちゃわかるという人がいたら多分あなたはそこそこ少数派なので、仲良くしましょう、そうしましょう。
さて、感想だが、その前に、僕は「ヨブ記」と言うのは全然わからない。キリスト教の話で男が悲惨な目にあうってことしか知らなかった。ユダヤのしきたりもそれっぽい雰囲気は見てわかるというだけで、それ以上の知識などはとくにない。
この映画を理解するには「知識」が必要だというネットで主流の感想は町山さんのレビューから端を発しているように思う。たぶんそれはその通りなんだろうけど、僕がシリアスマンをわかったのには知識はあまり関係なかった。なのでここでは別の観点からシリアスマンの感想を述べる。
思わせぶりコメディーというジャンルを知っているだろうか。
コーエン兄弟が得意としている彼ら独特のスタイルである。いかにも意味ありげに、意味深い何かをガンガンに感じさせながら、くだらないことを淡々と積み重ねていったり、映画をリアルにしようとするのではなく、むしろその反対に作為を見せつけるようにして、観客と意図を共有しようとする。
鹿爪らしい、いかにもな評論を嘲笑っていくのだ。
シリアスマンはこの思わせぶりスタイルの純粋にちかい結実ともいえる。大学教授のラリーに振りかかる災難につぐ災難を
「おい見ろよ!HAHAHA!」
と言わんばかりの演出で描いていく。ねらいがはっきりしていてお笑いバラエティの番組のように画面から笑い声が聞こえてくるような錯覚に陥る。コーエン兄弟の映画で爆笑することはあまりないのは、それがつられ笑いの構造に近いからではないかと思う。つられ笑いで爆笑することはないが、こらえるのが難しい笑いで、僕にとってはほとんど鉄板だ。
ここで注目しなければならないのは、知性に対するルサンチマンが皆無な点だ。
たとえば海水浴のシーン、泳いでいたアーサーが「儲かるぞ」と叫びながら海からあがって、それを斜めしたから見上げるように映すところなど、音楽の盛り上がりや、直後の暗転の重厚感がいかにもそれらしく、思わせぶりで、とてもバカらしいのだが、テクニックをふんだんに使っている。
盛り上がらせる技術がしっかりしている分、その盛り上がりの持って行き場所を用意してないことが活きてくる。行き場のない盛り上がりは、なんかスッキリしないから、なんとかスッキリしようと、シーンの隠された意図を観客自ら探そうということになる。その誘導がうまい。
あたかも、はしごを上手に昇らせ、そのはしごを取ってしまって、テレビのアンテナを直したり、高いところから隣人の様子を眺めたりしている様子を見て下から笑おうとするような。
「よく見てるじゃないの(笑)」という。
アイロニカルで嘲笑的なのだが、少しも下品になったりイヤらしくならないのは、対象を上に置きつつ笑うという倒錯した状況をつくり出しているからだろう。
知性をも手段にするという絶対の自信が垣間見られる思いだ。アンチだとかルサンチマンだとかは欠片もない。
こういうわけのわからない自信。自信満々にオチのない「歯の話」ができるようなフテこさに惹かれる。
「答えなんてないに決まってんじゃん(笑)」という。
仕方ないので自分で答えを探していると、ニコやかな視線を感じる。はしごを外されて困っているのは自分で、嘲笑われているのは自分なのに、ついつられて笑ってしまう。
全然イヤな気分にならない。むしろ楽しい。
ラストシーンもよく考えると意味がわからないけど、そんなものを超えた迫力があって、謎の盛り上がりのピークを見越したタイミングでエンドロール。これには、うわあああってなって、もう笑うしかない。
意味よりも笑み。
じつはこういうことで云々、という意味よりも、訳もわからずこぼれてしまう笑みのほうを優先すべきということ。そしてそれは反知性主義なんかではないということ。それがよくわかる。
そもそも二人で映画を作るってすごく楽しそうだ、とか思い始める。「それいいね」とか「こういうのはどう?」とか、そういう楽しそうな雰囲気が感じ取れる。
コーエン兄弟の映画で一番好きかもしれない。
コメディだけど、「I'm a serious man」と言おうとしたところを「I try to be a serious man」と言い直すところなど、泣ける。
予告も監督自ら作っていて面白い。
日本ではDVDが売られてなくて、なんでやねんと思っていたところが、今はiTunesで売られている。iTunes万歳!
シリアスマン1500円(HD版2000円)