う飄々(仮)

いうてまじめやで。

浅いっていうやつが、浅い

 

「浅い/深い」はダメな価値観にもかかわらず、よく使われるのを目にする。僕はネット上でそういう言葉を目にするたびにカチンときていた。なんかムカつくんだよな。だからその「なんか」が何なのか、ちょっと考えてみる。

まず、「深い」というのは何かを褒めるときに使われる言葉だけど、褒めているのに敬意が感じられない。手を抜いて褒めているような気がする。

深いというのは何? を突き詰めると「意味わからない」になる。

たしかに、意味わからないけどすごいものは結構いっぱいある。そういうときは「意味わからない!すごい!」と正直に言うのがまだしも敬意を払うということじゃないか。それを「深い」とは何だ。そこに込められる自分の審美眼に酔おうとするニュアンスがすごく気にかかる。自分に酔うのを否定するつもりはない。あれはあれで結構楽しいことを僕自身よく知っている。

でも、やっぱりすごいものはすごいんだから敬意を払うべきだ。それが自分の目に敬意を持つことにつながる。遠回りな分、しっかりつながる(ような気がする)。意味わからないものに対してちょっとでもそれは何なのかと考えてみたなら「深い」の一言で済ませられるはずがないと思うんだけど。考えた痕跡がまったく見られないのにいっぱしの意見みたいな顔してる言葉だから、すごく醜いなと思うし、そういうのを見ると腹が立つ。

敬意が足りない目は敬意から遠ざかっていく。「深い」と口にする目が自身の思惑から外れている様子は、本当笑えない皮肉という感じでどこまでもやるせない。

そうは言ってもこんなのはほとんどゲスの勘繰りにすぎないんだけど。(防衛)

 

僕が許せないのは「浅い」の方だ。

深いというのは何だかんだポジティブな言葉だから、一步譲るともう許せる。だが、「浅い」のダサさはもう全然許せない。半步だって譲りたくない。

 

僕は典型的なしょうゆ顔だ。

しょうゆ顔の人はわかってくれると思うけど、彫りの深い顔立ちにすごく憧れる。そうは言っても別にイケメンどうこうではなくて、落ち窪んだ目というのはそれだけで知性を象徴するし、すっと通った鼻筋はこれ以上ない正当性の証だという意味において。

僕はイケメンになりたいと思ったことは一度もないが、彫りが深くて知性的でかっこいい顔になりたいとは何度も思ってきた。

だから彫りは深いほうがいいなんてことは言われなくてもよくわかっている。

 

しかし、だからといって僕は他人に浅はかなやつだなどと言われたくないのだ。