う飄々(仮)

いうてまじめやで。

適切なスケールと連続する文体

 

自由自在なやり方がいい。勝手気ままに思ったことを口にしたい。

文字にするときにもそういうやり方でひとつ、なんて思っているんだけど、そんなやり方も一貫できないで、つい固くなってしまう。

自分の場合、感情が高まったときに何かを書こうとする。テンションが高いときにそのテンションで書き始める。書いているうちに落ち着いてきたり、話に飽きて適当に切り上げたり、ますます興奮して夢中でわけのわからないことを書きなぐったりする。

テンションが低いときに無理に書く必要はない。まあ当たり前のことだけど、プロではないんだから書くことに対して責任なんてない。書く内容については責任は伴うのかもしれないけど、できるだけそんな責任は負いたくないから、適当に注意して書いている。注意して書くというより、責任が必要なことについてはそもそも書きたいと思わない。

自分がここでやっていることは「声の記録」に近い。iPhoneのボイスレコーダーのアプリでやってもいいことをブログでやっている。Evernoteでやればいいのにとも思うけど、書くテンションを上げるためにはブログは都合がいい。思いついたことをメモに書くよりもツイッターに投稿する方が備忘のためにしても自然な動線になっている。少し分量が増えるだけで基本的にはそれと同じことだ。

mixiの日記というのは素晴らしかったと思う。自分にとっては大学の時期に流行りだしたこともあって、あの楽しさをかなり享受できたと思っている。今の大学生がツイッターとフェイスブックしか持たないのはすこし気の毒に思う。短い言葉で楽しむのもできるけど大喜利とか都々逸のようなプチ創作と、鑑賞した映画なり漫画なりのちょっとした感想しか基本的に書き込めないようになっている。書き込むためのモチベーションというのはそんなに強くないから、自然な動線になっていないと長文は書かないようになると思う。代わりに写真投稿で済ませるようになったんだろうけど、それでは楽しさの量は減っているんじゃないかと思う。

文章を書くことは楽しい。わざわざ書くことでもないことを自分なりに考えて書くことの楽しさをmixiに教えてもらって感謝している。「足あと」も良かった。かわいいあの子が読んでくれたと思うと、実際はどうであれ自然な欲求として、工夫したりもっと書こうと思えた。

ちょいと手間をかけて何かをする楽しさというのはソーシャルにも求められると思う。快適快適でちょっと疲れたときに面倒なことをするのは大学生の自分にとっては貴重な時間のひとつだった。でもそもそも動線がないとそれを作り出す手間をかけないといけなくなる。それは手間すぎる。あくまで規定の、指定された場所での一手間が求められているんだと思う。文章がすごく好きだから書くという人はその手の準備さえ楽しむだろうが、文章書くのちょっと楽しいかも程度の人にとってはそうではない。そういう人にとっての、かつてmixiが与えてくれたような楽園が欲しい。

今の大学生にもそういう場所があればいいのになと思う。作文は何も極めた人のものでも、大好きな人のものでもない。特別な人はいるし、そういう人のモチベーションはどうせ無くならないんだから、そういう人にとってのサービスはそんなに必要ないと思う。特別な人ではない普通の人のための作文広場ができればいいと思う。

今のブログサービスはちょっと特別すぎる。はてなもブロマガも特別な人のための場所だ。「パズドラは楽しいけど、それだけじゃ物足りない」と思っている人の数は相当多いんじゃないかと思っているので、そこにうまいこと線路が引かれたらいいなとソーシャル関係のプレーヤーには期待している。

関係ないけどソーシャルゲーム作っている人たちって楽しいだろうなと思う。「神運営」とかいっている無邪気な様子は、チームプレーでお金が儲かる遊びしているとてもけしからん人たちに映った。あの調子だとつまらないはずの会議とかも楽しそうでいよいよけしからない。

mixiにはいい思い出があるからなるべく美しく散ってほしいんだけど、それを言うのはいくらなんでも無責任か。

 

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)

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